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コラム1
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「写真家と画家」 築地クラブ講師 全日本写真連盟理事 福永友保

 

英国の作家アイザック・ウォルトンの「ザ コンプリート アングラー」は最も古い釣り文学として、いまだに再販を続けている。

渓流釣りファンの雨読書でもある。

内容は、パブで出会った釣り師と猟師が釣りと狩猟とでは、どちらが素晴らしいかを自慢しあうというものだ。

ウォルトン先生のモチーフをお借りして、釣り師と猟師を写真家と画家に置き換えたショートストーリーにおつき合い下さい。

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晩秋の上高地は季節はずれの台風に見舞われていた。

停滞を余儀なくされた写真家はホテルのバーでバーボンを嘗めるように飲みながら、窓の外を眺めていた。頭をよぎるのは暴風雨が紅葉を蹴散らしてしまうのではないかとか、台風一過のすごい雲が出るかも…とか。夕食にはまだ早い午後のバーに、客の姿は無かった。

写真家は明朝の天候を空想し、不安と期待を膨らませていた。

「隣よろしいですか?」赤いチェックのチョッキにパイプを燻らせた初老の紳士が写真家の返事を待たずに、隣に座った。

私は芸術家ですという雰囲気だ。スコッチを注文した紳士は、自分が絵を描きに来たと自己紹介し

「ずいぶん日焼けしてますね。登山ですか?」

と写真家に話しかけてきた。

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「登って、写真を撮ります」とぶっきらぼうな返事をした写真家は、バーボンのお代わりを注文した。

天候の話がしばらく続いた。

「ところで、山頂へ行かないとやっぱり良い写真が撮れないのですか?」画家の質問には棘があった。写真家はとかく危ないところへ行きたがる。身近に素晴らしい景色があるのに…と言いたげだ。

「山頂へ行くのが目的ではないのです。そこでだけ見える現象を撮りたいのです。」

「なるほど、光と影が作る瞬間の芸術ですね。しかし、何人もが並んでカメラを構えている姿を見ると、機械が撮るわけですから同じような写真が出来るのでしょうね」

画家は写真の芸術性を議論したいようだ。

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「被写体から受ける印象を構図やシャッターチャンス、露出など様々な要素でその人なりの表現をするので、バラエティーに富んだ作品が出来るんです。日曜画家が東京駅の前でキャンバスを並べているのと一緒ですよ」と写真家は応じた。

画家は期待した通りの答えだとニヤリとした。

「写真も絵も自己表現の芸術ですから、作者の意志がいかに強く表現されるかが大切ではないでしょうか。絵の世界では写実の時代から印象派、キュービズムなど様々な自己表現の悩みが歴史を作ってきました。写真はやはり写実とか、あるがままとかが支配的なのでしょう?」。

画家は、写真の表現は画一的で表現の幅が狭く、まだまだ芸術の世界では幼稚園レベルと言いたいようだ。

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あまり芸術論が得意ではない写真家だが、写真の芸術性には疑問を呈されては黙っていられない。

4杯目のバーボンが強い見方になったようだ。

「被写体に何を感じ、どう表現するかですが、画家の皆様は上高地で見る紅葉に感激して、絵の具を混ぜ合わせて自己表現の腕を振るうのでしょうが、私たちはより鮮烈な紅葉を発見すべく高峰へ行くのです。自分の感性をより激しく揺り動かす被写体との出会いが大切なのです。大きな感動と出会い、その感動を余すことなく表現出来た時の喜び、そこに芸術の素晴らしさを感じます」写真家は自分の言葉に酔っていた。

息をのむような大自然の中で、武者震いをしながらシャッターを切る喜び、こんな感動を絵かきさんたちはお持ちですかと言いたかったが思いとどまった。

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画家が反撃に出た。「素晴らしい被写体に出会わないと良い作品は出来ないのですか?テレビの秘境探訪などは芸術の安売りみたいですね」画家の質問のポイントは、表現ではなく発見に力点があるのではないかというものであった。画家は質問を続けた。

「それでも最近は、デジタルが盛んで表現が広がったのではないですか?紅葉を自由な色にしたり、好きなところに雲を浮かせたり…」。

写真家はデジタルが嫌いだった。

「写真の歴史は記録という側面が大きかったのです。ですから、作られたイメージの世界に対する感動はそれなりのものになってしまいます。事実を有るがままにというのは画家の皆さんから見ると、小さくて狭い世界かもしれませんが、その世界が好きでしょうがないのが写真家かもしれません」。

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「山に登るのは、そこに山があるからとおっしゃった方がいましたが、似てますね」画家の一言で会話が途切れた。

間合いを計ったようにバーテンダーが声をかけてきた。

「夕食の準備が出来ました。台風は、通過したようです。明日は快晴ですよ」。

椅子を降りながら画家が写真家に手を伸ばした。

「明日は早いのですか」。

「朝焼けを稜線からねらうつもりです」。

「素晴らしい感動と出会えると良いですね」。

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